皆さん、初めまして。私はとある大相撲好きの保育士です。
大相撲が好きすぎて、それについて話し出すと酸欠でクラクラし始めるまで止まらないくらい大相撲が好きなので、今回その思いをブログにて綴っていこうと考えました。
まず記念すべき第一回は現在世間を騒がせている宮城野部屋問題についてです。
伊勢ケ浜部屋に決まるまでも処遇案が二転三転したり様々な憶測が飛び交って情報が交錯したりとゴタゴタでしたが、処遇が決まった今も不穏な情報が散見されます。
しかしタイトルにもある通り、各々(特に力士)がプラスに捉えて稽古するのであれば、この統合の結果は楽しみでしかありません。
なぜなら元横綱2人に現役横綱1人、計3人の横綱から指導を受けられる事など、他では絶対に経験できません。同じ部屋(宮城野親方としては『郷に入っては郷に従え』を体現しなければならない)とは言え、教えてくれる人が3人いれば伝え方や言葉のニュアンス、着眼点などがそれぞれ違うはずです。
一人の指導者の下で伸び悩んでいた力士も、他の指導者が助言をする事によって何か一つのきっかけを得て大成するという事も十分に考えられます。
また、稽古相手も質・量共に増えるわけですから、益々稽古に熱が入る事でしょう。伯桜鵬は先場所十両に返り咲きましたが、1点の勝ち越し(8勝7敗)と完全復活を誇示するのはまだまだ厳しい成績でしたから、この転籍をきっかけに更なる大輪の花を咲かせて欲しいと思います。
照ノ富士と宮城野親方の関係
照ノ富士と宮城野親方の間に不穏な空気があるという記事もよく目にしますが、二人ともいい大人で、ましてや横綱なのですから、一般人が考え得るようなつまらない事にはならないと楽観視しています。
伊勢ケ浜親方が定年を迎えれば現役横綱の照ノ富士が引退して師匠の座を継ぐのが既定路線ですが、そうなると部屋の親方として宮城野親方が照ノ富士の下となるわけです。
しかし、それも宮城野親方にとっては良い経験となるのではないでしょうか。大相撲の世界は、大卒で入門した力士でも15歳やそこらの兄弟子に敬語を使わなければならない厳しい世界なのです。
前人未到の大記録を打ち立てたり、何度も一人横綱として協会の屋台骨を支えてきたという自負やプライドを一旦手放し、もう一度初心に戻って大相撲というものを見つめ直すことが出来たのなら、宮城野親方は親方として更なる境地に至れるはずです。
照ノ富士としても、過去の因縁は水に流して先輩横綱から多くを学ぼうとしたなら、現役の今、そして師匠となってからの人生にも多くの好影響が出るはずです。
そうと決まって一つ屋根の下で共同生活をする事になった以上、外野が面白がって無責任に言う程の悪い事は起こらないと考えます。力士たちだけでなく、照ノ富士と宮城野親方もこの処遇をプラスに捉えて精進して欲しいと思います。
100%の同情も断罪も出来ない宮城野親方の事情
元幕内北青鵬の暴力問題を1年以上に渡って報告しなかった事は、被害者や親御さんの気持ちを考えれば決して赦されることではありません。それに対して部屋の一時閉鎖という厳罰が下ったとしても宮城野親方としては、現役時代の様に意義を唱えるわけにはいかないのです。
ただ、協会の好き勝手も目に余るというのが私の見解です。他の同じような問題を起こした親方(春日野親方や陸奥親方など)と比べて明らかに重い罰であるのは、協会内部の政治が絡んでいるのは明白です。
つまり、伝統を守る相撲協会を白鵬に引っ掻き回されては堪らないという意志の表れです。
確かに、現役終盤には荒々しい張手やカチ上げを多用してまで白星を掴み取ったり、審判を公然と侮辱したり、自身の負けた取組で物言いを付けようとしたり、優勝インタビューの途中で勝手に手締めを行ったりと、横暴で奔放な振る舞いは枚挙にいとまがありません。
『そんな背景があったから親方になる際に「伝統を守り、先輩の言う事をよく聞いて…」という誓約書にサインさせた。その上での暴力隠蔽事件なのだから厳罰』、という理屈は分かりますが、そもそも白鵬をそんな風に育てたのは誰だよと思ってしまうのです。
瘦身で来日した時から、「師匠は絶対。番付で師匠を超える事があっても師匠の言う事は必ず聞かなければならない」と繰り返し言って聞かせるべきでした。師匠だけでそれが出来ないのなら一門や協会が一緒に指導していかなければなりません。
そう考えると、「師匠としての教育が必要」なのは宮城野親方に限った話ではありませんね…。
また、ファンも同罪です。「いよいよ双葉山の不滅の大記録が破られるのか!?」と盛り上がっているタイミングで、日本人期待の星である稀勢の里が止めたものだから、敗れた白鵬の前で拍手大喝采の大盛り上がり。
2013年11月場所ではあろう事か稀勢の里が白鵬を破った際に、館内に万歳三唱が沸き起こりました。
相撲は「勝って驕らず、負けて腐らず」の精神で取るべきものですが、それなら観戦するファンも同じように敗者の気持ちを汲まねばならないのではないでしょうか。
必死で勝負をしているのに、自分が負けた事で喜ばれてしまう…。そんな中にいたら、開き直ってヒールに堕ちてしまうのも仕方ないのではないでしょうか。少なくとも自分がその様な恐ろしい状況だったなら(想像すら出来ないような事ですが)、腐らずに受けて勝つ横綱相撲を追求できる心境ではなくなると思います。
因みに、白鵬の行いの数々で優勝インタビュー中の万歳三唱を例示列挙しなかったのは、「ファンも同じ事してるだろ」という気持ちからです。
全てをプラスに
人生で起こる出来事に無駄なものは一つとしてありません。また、乗り越えられない試練はやって来ないとも言います。
これら一連の出来事は、全ての当事者たちがより強く前に進んでいく為に課せられた試練なのでしょう。
プラスに捉えるかマイナスに捉えるか、その気持ち一つで結果は180°変わってきます。
新生伊勢ケ浜部屋の全ての人々の精進と進化を心から願って、第一回の記事を終えたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。